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8月, 2013の投稿を表示しています

天の父母様の理想家庭(平和神經 第1章) YouTube 約4分の動画より

・約4分の動画です。 尊敬する世界の指導者の皆様、神様が人間を創造した究極的な目的はどこにあると思われますか。 それは真の愛を中心とした理想家庭の完成を通して喜びを感じることでした。 では、理想家庭とはどのような姿でしょうか。 神様が創造された最初の人間は、男性格を代表したモデルとしてのアダムと女性格を代表したモデルとしてのエバでした。 彼らが真の愛の見本となる人格者、主人になる道とはどのような道だったのでしょうか。一言で言えば、神様を父として侍って生きていける父母と子女の関係を確保するモデル平和理想家庭でした。 神様と一つの家族を成し、永遠に喜びを感じて生きる道であるという意味です。 皆さんも、祈祷を通して神秘的な境地に入り、この宇宙の中心は何なのかと尋ねてみてください。 「父子関係」という答えを聞くようになるでしょう。 父母と子女間の関係以上に、重要で貴いものはないということです。 これが、この宇宙を創造された神様と人間の根本的関係であるからです。 そうであるならば、父子の関係がもっている特性とは何でしょうか。 真の愛と真の生命と真の血統の関係です。 真の父母の真の愛が前提とならなければ、私たちの真の生命が存在することはできません。 すなわち、神様の前に人間は、絶対的な真の愛の相対として創造されたということです。そこは、正に神様が父となり、人間は息子、娘となる軸が立てられる所なのです。 もし、それよりもっと高く貴い所があれば、人間の欲望は、またそれを追求することでしょう。しかし、そのような所はありません。 全知全能であられる神様が、最高のものは御自身のために隠しておいて、御自身の子女であり、愛の絶対相対者であるアダムとエバには、2番目に良い所に立てて創造したということは、想像することもできません。 私たちの永遠の真の父母であられる神様は、100パーセント御自身のすべてを投入して人間を創造され、同位権、同参権、同居権、相続権を付与されました。 神様のすべての属性を下さったのです。

神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。これは、何を意味するのか?私の推理は、真のお父様が、言われた時のある。男性の生殖器と女性の生殖器を交換した! (神様は、生殖器を交換したと考える事が出来る)

神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。  男性の生殖器と女性の生殖器を交換した? 神様は、生殖器を交換したと考える事が出来る? 一度、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。  この、男と女とに創造された、この事は、生殖器を交換したと考える事が出来る。 お父様のみ言葉に、「男性の生殖器は、女性のものであり、女性の生殖器は、男性のものである、だから、勝手に、使ってはいけない。」と、言われたみ言葉もあったと思います。 神様が、そのように、創造したと言うことです。 お父様のみ言葉は、統一原理であり、神様の創造と、違っていたら、問題ですよね! み言葉は、神様の創造と神様の歴史を、聖書を元に、文鮮明先生 (真のお父様) が、サタンと闘い、勝ち取ったみ言葉であり、神様も、認めた内容であり、それが、統一原理です。 但し今回の、神 のかたちに創造し、男と女とに創造された事が、  男性の生殖器と女性の生殖器を交換したかどうか?お父様の確認は取れてません。 私の考えですが、思いつきで、適当に言ってる訳ではありません。ただ、確認が取れないのは事実です。 [☆ 誰か、この事の正しい答えが、わかる方は、教えて下さい。] もう少し違う角度からかんがえると、夜の神様は 心 (主体)で、昼の神様は 体 (対象) と考える事が出来ます。 神は自分のかたちに人を創造された。 神様のかたちは、神様の形状・神様の体を意味していると思います。 (神様の内においては、 夜の神様・昼の神様は、 統一体ですが、説明上別れているように表現しています) お父様のみ言葉に、夜の神様は男性で、昼の神様は女性と言われている内容もあります。 何故か? それは、夜の神様に、種がある… 。 別のみ言葉に、先生は、夜の神様から産まれて、君達は、昼の神様から産まれた、と言うみ言葉も、あったと思います。 究極の入籍は、我々が、昼の神様から→ 夜の神様への入籍! だと、私は、考えます。 入籍の方法は、結婚すると入籍されますよね。 後は、養子に成る(養子縁組をする)… 少し話がずれてしまいました。 神様は、全てを産み出す親、母なる神、母体なる神! 夜の神様は、原因的・性相的神 心的神 、種なる神であり、全ての母体なる神である

信仰生活は、難しい!み言を語る必要はない。私は、み言を語ってしまいます。

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信仰生活は、難しい! もちろん、簡単だと、考える人もいると思います。  たまに、妻とブログの話をすると、 「み言を語らないで、普通の内容をブログに書いたら、良いと思うよ」と、言われます。 「み言を語る必要は…」  私は、み言を語ってしまうけど。 「実体が、どうか?だよね。」  わかってるんだけど、…  み言の実践が、難しいよね。 こんな感じで、話したりします。  み言を語るな、誰でも、み言は、語れるようになる。 (個人差は、あります) 実体なんですよね。  原理の生活!  見てる人は、ここを見てると思います。  簡単なようで、難しいですよね。  み言を勉強するなと言う事では、ありません。 み言、統一原理を学び、実践する事が大切だ!と、思います。  神様に、祈り!頑張りましょう。  神様は、全ての人に、平等です! 神様の真の愛は、全ての人に平等に与えられています。  神様の真の愛を相続しよう!  神様の真の愛を感じる事の出来る生活を意識して頑張りましょう。  皆さんの幸せを祈ります。   にほんブログ村  神様に 感謝の生活を!

正分合作用  万有原力によって、神自体内の二性性相が相対基準を造成して授受作用をするようになれば、その授受作用の力は繁殖作用を起こし、神を中心として二性性相の実体対象に分立される。このように分立された主体と対象が、再び万有原力により、相対基準を造成して授受作用をすれば、これらは再び、合性一体化して、神のまた一つの対象となる。原理講論より、正分合作用を考えました!

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正分合作用を知っていますか? 神を正として、それより分立して、再び合性一体化する作用を正分合作用と称する。 と考えていました。 原理講論には、その前に、説明が、書いてあります。 それが、今回のタイトルです。 私は、数日前まで、今回のタイトルの内容を意識してませんでした。 あなたは、どうですか? 統一思想に内的形状の説明が、あります。 1 内的形状 「内性は目に見ることはできないが、必ずある種のかたちをもっているから、それに似て、 外形も目に見える何らかのかたちとして現れているのである。そこで、前者を性相といい、 後者を形状と名づける」(『原理講論』 、44頁)。これは目に見える形より前に、性相の中 に、すでに形があることを意味するものであり、その性相の中の形がまさに内的形状で ある。 ↓正分合作用を読んで見て下さい。 (1) 正分合作用  万有原力によって、神自体内の二性性相が相対基準を造成して授受作用をするようになれば、その授受作用の力は繁殖作用を起こし、神を中心として二性性相の実体対象に分立される。このように分立された主体と対象が、再び万有原力により、相対基準を造成して授受作用をすれば、これらは再び、合性一体化して、神のまた一つの対象となる。 このように、神を正として、それより分立して、再び合性一体化する作用を正分合作用と称する。 『万有原力によって、神自体内の二性性相が相対基準を造成して授受作用をするようになれば、その授受作用の力は繁殖作用を起こし、』 神様自体内の二性性相は、内的性相と内的形状の事を意味していると、考えます。 『神を中心として二性性相の実体対象に分立される。このように分立された主体と対象が、再び万有原力により、相対基準を造成して授受作用をすれば、これらは再び、合性一体化して、神のまた一つの対象となる。』 この部分が、気になりますが、よく分からない所もあります。 あなたは、どのように考えますか? 私も、いろいろ考えてみます。 今日は、これで、終わります。 熱い日が、続いていますが、健康に気をつけて頑張りましょう! \(^o^)/ ブログ訪問ありがとございます。 にほんブログ村

天の父母様と天地人真の父母様が、完全一体と成ったら、新しい名前で、呼ぶように成ると思いませんか!

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神様と真の父母様の一体化した、天地父母様 (正確な表現が、わからないので、仮表現です) と書きましたが、天地父母様は、真のお父様のみ言に、あったと思います。 (自分で、確認してないので、仮表現と書きました。) 神様が、中心に、主体にアダム・真のお父様、対象にエバ・真のお母様が、 一体となり四位基台をなした、合成体が、神様と真の父母様 三位一体 神 天地父母様! これが、全ての基本だと思います。 感謝します。 いろいろ書きたかったのですが、簡単に今日は、終わります。 皆さんの幸せを祈ります。 にほんブログ村

数年前に真のお父様は、語らないといけないみ言は、全て話した!お父様としてなすべき事は、なしたと言われたと思います。(何が言いたいかと言うと、真のお父様は、天使を祝福したか?…)私の考えです。あれこれ少し考えてみました。

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数年前に真のお父様は、語らないといけないみ言は、全て話した! お父様としてなすべき事は、なしたと言われたと思います。 このあとぐらいに、夜の神様・昼の神様の話を聞くようになったので、 夜の神様・昼の神様は、統一原理内の神様… いろいろ考えると、統一思想内で、言われている神様かな?と感じます。 以前は、夜の神様・昼の神様は、性相と形状の神様かなと思いましたが、今は、少し違う考えをしています。 (基本、み言・原理で、表すと、どう成るか と考えています。) 今回は、真のお父様は、天使を祝福したのか? 天一国時代!天使は、祝福を受けているのか? 天使は、天一国祝福を受けていないと思います。 何故なら、公表されていないからです。 あくまで、私の考えです。 いろいろ空想? 私の想像原理です? 天使が、祝福を受けている!と想像します。 想像+創作! 数年前、韓国・清平で、大母様のみ言に、少し前から、天国に万物が、いるように成りました。その前は、天国に行っても、万物は、いないと言われてました。 今の世界・被造世界の動物・植物などに、霊人体は、ないと聞いてます。 この大母様のみ言は、正確な内容ではありませんが、 ポイントてきに、おぼえてる内容です。 私が考えること・内容は、 神様が、中心に、主体が、人間で、対象が、万物で、一体化した世界が、地上天国ですよね! これを、霊界を中心に考えれば、 神様が、中心に、主体が、人間で、対象が、万物で、一体化した世界が、天上天国ですよね。 私なりに、詳しく説明すれば、神様と真の父母様の一体化した、天地父母様(正確な表現が、わからないので、仮表現です) 主体に、人間・夫婦一体化、 霊界を考えた時に、夫婦の霊人体の一体化が、主体になり、対象は、天使(男女の天使)になります。 霊界の万物の存在は、天使以外にありません。 男の天使と女の天使に、神様が進和させる。 進化では ありません。神様の力により進化する事を進和と言います。 文鮮明先生のみ言や統一原理を中心に考えた時の個人的、原理解釈です。 天使は、男でも女でもありません。未完成 的 存在です。 アダム・エバの祝福、完成の後に、天使が完成して、天使が、神様の祝福を受ける。 天使が、神様から、 男天使と女天使になり、祝福を受け

中山グループのブログを読み、変だと思う所が沢山あります。当たり前!、統一原理を中心に考えれば見えてくる!あなたは、見えるか?間違いにきずくか?…など、少し考えました。

まず始めに、中山グループと書きますが、私の中に、中山グループは、存在しません。 存在は、中山さんの考えを中心とした、氏族メシャ型の原理 風 グループ・中山教の人達? [非原理的氏族メシヤ 活動集団 中山組]に、私は、感じます。 今、時代は、新氏族メシヤ活動! 生活原理時代!原理の生活をする。 統一原理を生活で生かす、体術する時代です。 その事を中心に考えて下さい。 真のお父様・真のお母様と中山さんの違いは何か? 簡単に考えて、 真のお父様・真のお母様は、霊能者ではない! だから、神様の言葉や先人・霊界の霊人の話・言葉は、伝えない。 真のお母様も、真のお父様が霊界からのメッセージとして、紹介していないと思います。 真のお父様と、真のお母様が、相談・話合っている事は、聞きますが、結果的に、真のお母様の言葉として話しています。 メシヤ・真の父母は、人類の主人です。 対象の立場で、霊人の話をする事は、…? 人類の主人、メシヤ・主体の立場ですから、真のお父様・真のお母様は、み言を話されると思います。 中山さんの考えは、面白い事が、沢山あります。 男サタンとか、女サタン?と考えています。 私達の中の生心に神様がいて、肉心にサタンがいるとか? 統一原理を中心に考えて、変なんです。 男サタンとか女サタン、これは、考え方としては、良いと思います。 このパターンをもじれば、男聖霊も、出てくるかもしれません。 私が始めに、男聖霊と言ったなら、特許にしょうかな? すいません、話が、ずれました。 私達の中の生心に神様がいて、肉心にサタンがいるとか? これが、事実なら、人間は、堕落しなかったと思いませんか? 堕落する前に、神様が働く事が、出来たでしよう! アダム・エバの基準は、今の我々より、はるかに高かったと思います。 堕落前に、神様と一問一答で来た基準です。 復帰は、この基準!神様と一問一答出来る基準に成長出来るように努力しないといけない! 霊人と一問一答出来るようになる。なれる私達です。 目標を明確に! 欲望は、善です! もちろん、善なる欲望はですが、 堕落して、悪なる欲望を求めがちなので、欲望は、悪と思いがちですが、目的を正しく、善なる欲望は、善です。 善なる欲望があるなら、善なる執着心もあると思い

聖書に、神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。 とあり、昼の神様・夜の神様の名前は、ここから付けたと思います。 この事から、どのような事が考えられるか?考えて見ました。

聖書に、神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。 とあり、昼の神様・夜の神様の名前は、ここから付けたと思います。 この事から、どのような事が考えられるか? 光の神様と呼ぶ方もいると思いますが、この光は、結果的存在であると考えられます。 (聖書に神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 とあるように、神様が言った結果、光があった) やみが、心で、光が、体の神様です。 やみが、主体で、光が、対象です。 夜の神様は、男性であり、昼の神様が、女性と言われたみ言が、あります。 それは、夜の神様が、主体であり、昼の神様が、対象と言うことです。 霊界は、陰暦だと言われるのも、神様において、陰が主体だからです。 夕となり、また朝となった。第一日である。 聖書に書いてありますが、神様が、主体ですから、神様から見れば、陰が、主体で、陽が対象なので、夕となり、また朝となった。 これが、第一日です。 人間から見れば、陽が主体で、陰が、対象です。 人間の目で感じれば、昼となり夜になり一日ですよね。 神様の目で見て感じて下さい! 昼の神様と光の神様は、同じ神様ですが、 表現している意味あいは違うと感じます。 光は、エネルギーですが、 やみは、前エネルギーです。(統一思想的表現です) 光とやみの関係は、発電所と電気の関係かな?と思います。 スイッチを入れると電気が付く、光ですね。 やみは、発電所です。 やみと光 は、一体です。 光あれ!で、スイッチを入れたので、光が、明るく光ったと言うことです。 スイッチを切れば、暗くなる。 こんな事を考えました。 ブログ訪問ありがとうございます。 \(^o^)/